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東京地方裁判所八王子支部 昭和59年(人)1号 判決

主文

一  被拘束者を釈放し、請求者に引渡す。

二  本件手続費用は拘束者の負担とする。

理由

請求者と拘束者は昭和五七年二月二二日婚姻届をした夫婦であり、以後同居生活を送つていたところ、同年六月頃請求者は同人の実家へ帰り、同年七月二〇日被拘束者を出産したこと、請求者は右出産後も同人の実家の世話になつていたところ、昭和五八年五月頃拘束者と話し合つて同月二〇日から再び拘束者と同居生活を始めたが、同年七月一六日以降請求者は被拘束者を拘束者の下に残して再び請求者の実家に帰り、請求者と拘束者は以来別居していること、被拘束者は現在拘束者の肩書住居地において拘束者により監護、養育されていること、以上の事実は当事者間に争いがない。

右争いのない事実によれば、被拘束者は現在生後一年九か月余の幼児であつて、意思能力を有しないことが明らかであり、拘束者が被拘束者を手許に置いて監護する行為自体当然に被拘束者の身体の自由を制限することになるから、右監護方法の当、不当に関係なく、それ自体人身保護法及び同規則にいう「拘束」に当たるというべきである。

二 ところで、人身保護法に基づく救済請求においては、人身保護規則四条本文により拘束の違法性が顕著であることが要件とされているところ、共に監護権者である夫婦の一方が他方に対して幼児の引渡しを請求する場合、当該拘束の違法性が顕著であるか否かは、幼児を夫婦のいずれに監護、養育せしめるのが幼児の幸福に敵するかを主眼として判断するのが相当である(最高裁判所昭和四三年七月四日第一小法廷判決、民集第二二巻第七号一四四一頁参照。)。

そこで、本件において拘束者の被拘束者に対する拘束の違法性が顕著であるか否かについて検討するに、前記当事者間に争いのない事実に《疎明略》を総合すれば、次の各事実が一応認められる。

1  本件拘束に至る経緯

請求者(昭和三二年六月一一日生)と拘束者(昭和三五年一一月二一日生)は、結婚後拘束者の肩書住居地近くのアパートで同居生活を開始したが、昼食、夕食等は拘束者の実家で拘束者の父母、姉妹等と共にすることとなり、請求者は夕食をすませアパートへ帰る午後一〇時頃までは拘束者の家族と共に過ごすといつた毎日であつた。拘束者の実家は拘束者の肩書住居地に所在する都営アパートであり、四・五畳及び六畳の和室に五・五畳の台所のみで、請求者は、日中、拘束者の母松子(五三才)、姉春子(二四才)、妹夏子(二一才)と一緒に過ごすことが多く、同女等から請求者の生活態度等につき注意されることもあり、これに対し請求者としては、初め拘束者の母親から、拘束者の収入が少ないから、食事は一緒にするようにとのアドバイスはあつたので、ときどき拘束者の実家に行く程度で、二人がアパートで暮せると思つていたところ、一日の殆どを実家で過し、しかも実家は狭い団地で、拘束者の母だけではなく、姉妹も一緒のため、なかなか解け込めず、内気な請求者は反発するといつた形で次第に拘束者の家族との間の折合いが悪くなり、請求者にとつては息づまるような毎日が続き、拘束者も請求者に対し、「甲野家の家風に早くなじめ。」と言うばかりで、請求者と拘束者との間も円満を欠くに至り、請求者は右のような日常に耐えきれなくなり、昭和五七年六月頃出産に備えるという名目で請求者の肩書住居地所在の請求者の実家に帰つた。そして、同年七月二〇日請求者は被拘束者を出産し、母乳を与えつつ被拘束者を養育していたが、拘束者のもとへ戻る気になれず、拘束者と今後のことについて何度か話し合つたものの折合いがつかず、引き続き請求者の実家の世話になつていた。その後昭和五八年五月二〇日請求者と拘束者との話しがついて、一旦は従前通りの同居生活を始めたが、夫婦仲は一向に回復せず、また被拘束者の育児問題についても請求者は被拘束者をアパートでくつろいだ気持で育てたいと希望してもかなえられず、拘束者及びその家族らがまわりから育児について細かいことを云うとして、その間に意見の対立が生じ、同年七月一五日夜、請求者は拘束者及びその家族等から請求者の生活態度、育児方法等につきあれこれ注意されたところ、これを拘束者の家族等に集中攻撃されたと感じ、遂に拘束者との離婚も止むなしと考え、請求者の実家へ帰ることとし、その際被拘束者も連れて行こうとした。しかし拘束者は、被拘束者は寝ているから置いていくように述べて請求者が被拘束者を連れて行くことを許さず、請求者だけを拘束者の自動車で請求者の実家へ送りとどけた。その後、請求者は同人の兄等を通じて拘束者と話し合つたが折合いがつかず、止むなく東京家庭裁判所八王子支部に調停の申立をなしたが同年一一月二五日右調停も不調に終わり、請求者と拘束者は現在も別居したままで、請求者は本件人身保護請求に至るまで被拘束者と一度も面会していない。

2  拘束者の被拘束者に対する監護状況及び拘束者側の事情

拘束者は昭和五八年七月一六日以降被拘束者を主に拘束者の母及び妹の手により養育しているが、被拘束者は現在歩行も出来るようになり、付近の公園で遊ぶ等健康状態も良好で、拘束者及びその家族になつき、拘束者及びその家族も被拘束者に愛情ある態度で接しており、一応被拘束者は平穏で安定した生活を送つている。しかし、拘束者宅は前記の通り手狭で、拘束者と同人の父の二人が四・五畳の和室で、被拘束者と拘束者の母、姉、妹の四人が六畳の和室で就寝するといつた状態である。そして、拘束者は乙山株式会社に勤務し、拘束者の父は八百屋の引き売りを業とし、姉も勤務し、拘束者の母と妹が主に家事に従事しており、被拘束者は前記の通り日中は母と妹が世話をしているところ、右姉妹はいずれも結婚適令期にある未婚の女性であつて、いずれ結婚することも予想され、そうなると拘束者の母が主に被拘束者を養育することになる。

3  請求者側の事情

請求者は実家である肩書住所地において父母と生活しており、現在実家近くの会社に事務員として勤務しているが、被拘束者が自分の手元に戻されたならば右勤務を一旦止め、経済的には父母の援助を受けて、被拘束者との母子としての接触に務め、時期をみて再び就職し、被拘束者を自らの手で養育していくことを希望している。なお、請求者の父は退職し、現在父母共に無職で年金及び貯金等で生活しているが、請求者が被拘束者を引き取つて養育することについて協力することを約束している。

《証拠判断略》

右認定の事実に基づいて考察するに、被拘束者のように未だ二才にも満たない幼児にとつては、母親が監護、養育する適格性、育児能力等に著しく欠ける等特段の事情がない限り、母親の膝下で監護、養育されるのがより適切であり、その福祉にかなうものであつて、被拘束者が、物心がつきさらに成長する過程において母親の愛情は何ものにも代え難い重大な影響を及ぼすものであつて、拘束者及びその母親にしても決してこれを代用できるものではない。このことは、生活環境の安定性、連続性の要請に対してもはるかに優るものというべきところ、本件では請求者の被拘束者に対する愛情に何ら欠けるところもなく、また請求者側の被拘束者の受け入れ態勢も一応整つていると認められるのであつて、他に請求者が被拘束者の母親として不適格であるとするような特段の事情も認められない本件においては、被拘束者の健全な発育のためには母親である請求者の愛情ある監護、養育が早期に実現されることが不可欠というべきである。そして、被拘束者の監護、養育を請求者に委ねることが適当と認められれば、拘束者の被拘束者に対する拘束が平穏に開始された場合であつても、拘束者の被拘束者に対する拘束の違法性が顕著であるというべきである。

三 従つて、請求者の本訴請求は理由があるので、これを認容し、被拘束者を釈放し、被拘束者が幼児であることにかんがみ、人身保護規則三七条に基づき、被拘束者を請求者に引渡すこととし、本件手続費用の負担につき人身保護法一七条、同規則四六条、民事訴訟法八九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 安間喜夫 裁判官 前島勝三 裁判官 原 敏雄)

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